手放す事の大切さ

先日から、今までのもやもやとしていた気持ちをどうするか、内観を続けていました。

掃除の鬼の夫の母と、そうでない私。

というよりも、きっとこの人は何か働いていなければ、さぼっていたりそう思う(自分自身をそうジャッジしているのも自分)のがいやな義母は常にどこか何かを掃除して整理しているのです。

私もきちんとやっていますが、勝手にいろいろできるわけもなく。

やってみたら、元に戻ってた、、、。

 

自分も、掃除してないと、きれいにしていないと、義母ににらまれる、、、などのジャッジを

自分に課していたのです。

ですから、しなくていい、と息子にいわれてもどうしても掃除してしまう義母を感じると

私はいてもたってもいられなく、自分の部屋に閉じこもってしまうのでした。(仕事もあり)

 

そんなことをしていたら、3キロも太ってしまいました。

 

先日から手放す事を書いてみようと思い立って、書いてみたのです。

義母が私が何もやらないと思っている幻想を手放す。

義母は私をしょうもない嫁だと思っている幻想を手放す。

弟のお嫁さんと比較して、子供がいない私達夫婦は下に見ているという幻想を手放す。

 

どれも、チクリと言われたり、それに基づいているので、完全なる幻想ではないのですが、それはどうでもよくて。

 

もう義母がどう思おうが、私は彼女に優しくして、一貫性をもち接する。

それがたとえ彼女が私をジャッジしようが私の問題ではない!

すべて手放して、感謝する。

お義母さんありがとう。

 

今日はこのブログで本音を書いてみましたが、それらを手放したら、良い事があったのです。

努力はしてきたつもりだけれど、認められたいという承認欲求もあったかもしれない。

 

全部手放して、すっきりして、よいことが舞い込んできたのです。

 

完全に手放しするのは難しいし、また同じような出来事はやってくる。

でも、自分の本質、一貫してやってきたことを思い出し、大切な部分にもどってみる。

 

この5日間くらい、内観したら出た結果がこれで、本当によかったと思う、この日。

思考と心(ハート)は違う、考えすぎないで、外にでてみよう。

出れなくても思考の中から飛び出て、太陽を浴びたり、緑をみたり、映画をみたり、動画をみたり。

欠けているところは何もない。誰もそうで。

欠けていると感じる思いを手放してみよう。