この状況なのであまり私の方の実家には行けていません。
父も以前入院したりの経験があるので、今は行くときではないのかなと思っています。
両親は、私の慣れ親しんだ実家から引っ越しをしていますので、今、私が行く実家は別の場所です。
前の実家はいいも悪いも、いろいろな思い出が詰まっていたので、たまに目が覚めると、ここは昔の実家の私の部屋か?と錯覚を起こしてしまうことがよくありました。
両親が実家をあとにした時、その家をきれいに片づけ、気持ちの整理をしてお別れしたことでしょうが、私は実家に「さようなら」を言っていませんでした。
古い実家に区切りをつけていなかった私が、ある日夢をみました。
夢だったのか、現実なのか、、、今でもわかりません。
私は空気の流れのようにシューッと空中を一瞬で飛んで、実家に行きました。
実家の玄関の前に立ち、中にすっと入り、びっくりするくらいの速さで、びゅんと階段を上って自分の部屋や2階の部屋全部をまわり、1階にもどったあと、部屋をまた一瞬のうちに全部みて、そこを立ち去りました。
目が覚めた時、私は涙していて、気持ち的にはこれで古い実家にありがとうを言えた、さよならを言えた、と思いました。
今でも目が覚めた時、この天井はどの家の天井か?と思う日もたまにあります。
この意味はわかりませんが、きっと自分は懐かしんでいるんだなって思います。
そして、その実家でのいろいろな事も、人生の一部であろうと感じました。
私一人のものではなく、きっと家族一人一人、亡くなった祖母や祖父や、家族の混ざり合ったたくさんの思い出。
空間の中で、一人一人の点と点がネットワーク上のように混ざりあっているような、そんな所。
いま生きてる人も、もうすでにこの世にいない人も、過去も未来もすべて含めて。
家族も、自分も、家も、人生に起こること、起こったことは混ざり合っています。
でもその後、久しぶりに現在の古い実家をgoogleでみてみたのです。
マンションが建っていました。
ついでにと言ったら変ですが、最近行っていないなと、お墓をみてみようと思って、チェックしたら、わりとそばまで行けました。
墓石の名前を見るようなことはできませんが、近くまでは行けたのです。
なんとなくホッとしました。
想いというのは、どこか、空間上、時間を超えてそれを飛び越えて、感じたり、触れたりすることができますね。