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昔、西と東に分かれていたことを

若い人は知っているのでしょうか?

デビッド・ボウイ David Bowie がドイツにある意味深く関わっていたことを。

そしてドイツが東西に分かれていたことを。

 

https://japan.diplo.de/ja-ja/themen/politik/berliner-mauer/931552

上のURLはわかりやすく書かれています。

 

当時と言っても、1989年の話です。

私がアメリカにいたころ、知り合ったドイツ人は、当時自分は西ドイツから来たという表現をしていました。

 

ドイツは、東ドイツと西ドイツとに分かれていました。

東と西は壁で囲まれて分断されていました。

西側の人は東へ行くことが可能でしたが、東の人はいけませんでした。

そして東ドイツの若者は、西側の音楽さえ、聴いてはいけなかったのです。

 

そんな東の人々の不満が徐々に高まっていた頃、デビッド・ボウイはドイツ西ベルリンに住んでいたそうです。

当時スターとして人気があったのですが、ドラッグなどでも悩んでいたボウイは、ベルリンに移り住み、ひっそり住んでいたそうです。

毎日その東西を分断する壁を見ながら音楽を作っていたようです。

そのレコーディングスタジオは壁の近くにあったそうです。

有名な「Heroes」はここでレコーディングされました。

 

そしてそれから10年くらいたって、コンサートツアーでベルリンを訪れました。壁に近い西側のコンサート会場では、スピーカーのいくつかを壁の方に向けて、東の人たちに向けて、「壁の向こうの友人のために幸せを祈ろう」とヒーローズを歌ったのです。

 

We can be heroes, just for one day.

We can be us just for one day. 

一日だけヒーローになれたら。

一日だけ、私たちそのままの自分でいられたら。

 

一日だけでも壁がなかったらと願った人はたくさんいたでしょう。

 

そのままの自分自身でいることも許されなかった東の彼らでした。

 

、きっとあきらめず、毎日毎日、そんな環境の中で、毎日自分自身の気持ちを確認しながら、一日一日を大切に生きていたのだと思います。

 

そしてデビッド・ボウイ自身もきっと、壁を見ながら過ごした月日の出来事を心に刻んで、あの日のコンサートまで大事に取っておいていたんだと思います。

 

彼はそのコンサートでヒーローズを歌い終わった時、東側の人達に向かって手を振っていました。それはコンサート会場にお尻を向けた状態で、見えない東側にずっと手を振っていたのです。

 

ヒーローズを何十年も聞いてきたのに、そのことを知らないで聞いていました。

歌詞の中にはちゃんとthe wall という言葉も出てきているのですが、全く知りませんでした。

 

内容を知ったら、その歌の存在が私にとって、もっとすごく大切なものになりました。

 

私が最初にドイツに行った頃、ハンブルクからアウトバーンを走ると、ベルリン近辺で一度、東ドイツの風景になり、監視塔や検問所が壊れ果てた姿で姿をあらわしていました。

 

きっと壁が壊れた事で、みんなが壊したのだと思いますが、こういうのを見ると、本当だったんだ、のような気持ちになりますね。

 

そして、かなり長い間、私もドイツで東復興のための税金を払っていたと思います。

 

自由を手にした人達、ボウイが第一歩のきっかけでもあり、彼にも彼らにも一生忘れられない思いになったことと思います。

 

デビット・ボウイがいないなんて、なんだか悲しくなりますが、またあのヒーローズをたくさん聞いてみたいと思います。

 

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