以前離婚を経験した知人が、今だんなさんがいるっていいよねって言いました。
そのいいねの理由は、孤独死がないじゃない!って言いました。
私はすぐ、夫、家族がいようが、そんなこと誰にでもあるじゃない!って思いました。
夫がいても、先立たれる時があるし、その際は一人残ります。
同時に二人亡くならないと、それはいつでもありえます。
びっくりしたのは、これは10年近く前の話で、その人はまだ40代はじまったばかりでした。(わたしもまだ、若かった!)
今思うと、40代なんてまだまだーと言えるのですが、40代で未婚という不安は、孤独死だというから本当にびっくりしました。
結婚したら、孤独ではないか?というと、孤独な時もあるんだと思います。
結婚してもそれぞれの問題は、完全解決はしません。
うちは、夫だけ2か月くらいドイツに行くこともあります。ですから、その時は孤独を感じたり
することもあります。
さみしい、というのではなく、どうせ、私をひとりにして、お義母さんの方を大事にするんでしょ?的な孤独です(笑)
一人というのは、嫌いではありません。
今のコロナ禍でも、あまりみんなと会えないからとは、思わない方かもしれません。
なぜなら、今のその状況を受けいれているからかもしれません。
でも、自分をないがしろにされる、というさみしさはきっとつらい事なんだと思います。
ドイツの義母はそんな風な思い癖をしていることがよくあります。(だから人が寄って来ないこともあるだろうと私も感じる事があるのです)
実際そのような事があるので、私たち夫婦がそれをフォローするのですが、義母のさみしさというのは消えることがありません。
次から次へと出てくるさみしさ、悲しさ、不安。
私たちがドイツに永住することになったとしたら、義母の悲しみは減るのでしょうか?
私にはわかりません。
話は戻って、私の場合は夫に、ぶつぶつと文句をいう事ができます。
お義母さんばっかりね、とチクリとすることができます。
でも、こういう時、誰からも必要とされていないんだ、という思い込む時は、ものすごく心が
すさんでしまいます。
思考に取りつかれてしまい、悲しさが本当になってしまいます。
そんな時、自分自身を確認してほしいと思います。
自分は誰からも必要とされていないと思うか。
本気でそんなことを思っているのか。
私はその時、うちから5分にある海を見に行きました。
さみしいなー、悲しいなーと思いながら見始めた海ですが。
いつの間にか忘れて、ただただそこにいました。
何を考えるでもなく。
ぼーっとして。
それは海があったからではなく、その自分の悲しい気持ちに向き合ってみようとおもったからだと思います。
だから、突き詰めて考えたわけでもなく、自然に消えていったのではと思います。
散歩して買えりぎわには、アイスが食べたいなー、買いに行こう!と楽しい気持ちに変わっていき、悲しみにくれた黄昏はいずこへ???
思考は幻の時もある!