Return to site

ただそこに存在するということ

いつも穏やかで柔らかな光のようだったドイツの義父が、静かに眠るように逝きました。

どんな時も怒ったり、言葉がきつくなったり決してしない人でした。

暖かで、キラキラと光るようなそんな光の存在だったのです。

昨年10月、リコネクティブヒーリングのセミナーがドイツであり、参加した前後もドイツの両親のところにいました。

その時、夫はお父さんは会えるのはこれが最後だと思っていると思う、と言いました。

私は最後だからということをあまり気にしないで普通にすごしました。

最後だと考えたら自然にはふるまえないと思ったのです。

日本に戻る時、義父は泣いていました。この何年か、会えた時と別れるときはずっと泣いていました。

でも、その義父を見るのが私はあまり好きではありませんでした。次があるのだから、泣かないでねと。

次はありませんでした。

亡くなる前の2~3日前、義母から電話があり、お義父さんと話をした方がいいよ、と私に言いました。

その時の義父の声は元気で、まるでソファに座って話しているようにリラックスしていました。

じゃあまたね、元気でやるんだよ、が最後でした。

 

多分二人はわかっていたのかもしれません。

義父はいつもその人のそのままを受け止め、判断もせず、ただただ、そこにいて

くれる人でした。

私はたまに、もっと~をすればいいのに、と思ったこともあります。

病気にはこれがよいと思う記事を送ったり、身体が冷えるので電気毛布を送ったり、いろいろな事を試してみたらと思って一方的に送ったりしました。

でも、それを試したり、取り入れない事も父の選ぶものであるのだろう、それでもいいんだと思うようになったら、私自身が癒され、そして穏やかな気持ちになるのでした。

 

義父の葬儀は遺言通り、家族だけでひっそりと。

一番介護の必要な義父と、大変な義父を助けてくれた両親の友人だけ。

 

最後まで義父らしい感じがしました。

本当に義父にはいろいろな事を勉強させてもらって感謝の気持ちでいっぱい、ありがとう。

All Posts
×

Almost done…

We just sent you an email. Please click the link in the email to confirm your subscription!

OKSubscriptions powered by Strikingly